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last updated 1997/06/26

第42話(全130話)

マスター、マリカを救う(3/3)




 マリカは取りあえず、この場は巣から離れ、二度と赤ん坊の側には近づかないことを、態度
でドラテロに報せるのがいちばんだと判断する。そちらの攻撃に恐れをなして逃げたのだと、
ドラテロに思わせればいい。
 マリカは木へと飛んで、枝から枝へと渡ろうとした。そうやって少しずつ巣から遠ざかり、
ドラテロのテリトリーの外へと逃れようとした。しかし計算違いが生じた。腰にさしていた剣
が幹と枝との間にひっかかり、体の動きを封じてしまったのだ。
「うわッ」
 見ていたピートは思わず短い悲鳴を上げてしまう。木へと飛び上がり、枝から枝へとジャン
プしようとしていたマリカの体が、いきなり引き戻され、ブランと枝から頭を下にぶら下がっ
てしまったのだ。
 枝からぶら下がるマリカの頭は、ちょうどドラテロの角と同じ高さに揺れていた。ドラテロ
の瞳が輝く。射止めた! その目は確信を持って宣言していた。
 猛然とドラテロがマリカの顔めがけて突進してくる。体をひねってマリカはそれを躱そうと
した。しかし駄目だ。幹にからまった剣に遮られて腰が動かない。マリカにはドラテロの突進
を躱す方法がまったくなかった。
 迫り来るドラテロの目を、マリカは睨み付けた。瞳の力でその巨体を弾き返そうとするかの
ように。けれど駄目だ。子を守ろうと激昂しているドラテロは、マリカの視線など簡単に跳ね
飛ばして迫ってくる。
「駄目だ! マリカを殺さないで!」
 ピートは叫んでいた。叫ぶことよりほかに何も出来なかった。そして叫んだところでマリカ
の命を救えるはずはなかった。角によってマリカの顔が切り裂かれるのは避けられなかった。
 しかし。
 ピートは忘れていた。ピートの体はいまや、マスターというロボットの体であり、そのロボ
ットにはいろいろな緊急用の装備がシステムアップされていることを。確かにピートが叫んだ
だけでは何も事態は変わらなかったろう。しかしマスターが叫ぶとなると話は別だ。マスター
の絶叫は人間の可聴域を遥かに越えた高周波の波動となってドラテロにぶつかっていった。
 グワッ。
 とも聞こえる声を上げたドラテロの体が、マリカからほんのわずか三○センチのところでグ
ラリと揺れた。かと思うとドラテロは不意にブレーキをかけ、体を反転させた。
 目の前で土煙を上げながら劇的なUターンを決めるドラテロの巨体を、木からぶら下がった
まま、マリカはキョトンとなって見てしまう。
 ドラテロは巣から赤ん坊をくわえて持ち上げると、そのままヨロヨロとした足取りで森の中
へと逃げ込んで行く。
 見ていたピートにも何が何だかわからない。いったいどうしてドラテロが急に怯えて逃げ出
して行ったのか、見当もつかない。ポカンとなっていると、腰のベルトを外して、剣を枝と幹
の間に残したままスタンと地面に降り立ったマリカが歩み寄ってきて、肩をポンと叩いて何か
囁いた。
「ありがとう。助かったよ、マスター」
 そう言ったように聞こえた。
 聞こえたのなら、マリカは確かにそう言ったのだ。マスターの聴覚センサーは絶対に聞き間
違いをしないのだから。
 ありがとう? どういうこと? それってぼくがあのドラテロを撃退したんだって、そうい
うこと? でもぼく何もしてないよ。
「ぼくはただ馬鹿みたいに悲鳴を挙げてただけだよ」
「その悲鳴がドラテロを怯えさせたんだわ。あなたの高周波の叫びが、ドラテロの耳にはよほ
ど嫌な響きだったのね」
 マリカは言って、フーッと額の汗をぬぐった。
「もしもの時は盾になってくれる、とは思ってたけど、マスターがあんなふうに敵を撃退して
くれるとは知らなかったわ。ありがとう。あたし、あなたから命を救われる時があるなんて、
ぜんぜん期待してなかったのに」
「ぼくだって、マリカを助けられるなんて、思ってもなかったよ」
「回路不良のおかげなのかしら。いままでのマスターだったら、もしかしたらあたしを助けよ
うなんてしなかったかも知れないわ」
「どうして?」
「とても冷たい機械だったもの。大怪我をしたなら治療はしてくれたろろけど、ドラテロの一
撃で命を失ってたら、きっとそれきりだったわね。姫がわたしの背中に隠れないからこうなる
のです。どうして無用な戦いをするのですか。理解不能。きっと、そう呟いてたわよ」
「ぼくが?」
「それがマスターだったはずだもの。でも、いまは違うわね。あなたまるで変わっちゃったわ
」「付き合いづらい?」
「どうして? 助けてもらっておいて、そんなふうに思うわけないじゃない」マリカは笑った
。そしてマスターの頭を平手でポンポンと叩き、続ける。「でも、そうね。戸惑うわね。機械
なのに、あなたは感情があるみたいに見える」
 ワーターがブヒヒンと鳴いた。振り向くと、さっきのイルカがワーターの隣にフワリと浮い
たまま、マリカの荷物の中から食べ物を捜そうとしていた。
「やぁね。あたしはツブの実なんか持ってないわよ」
 言いながらマリカはイルカのほうへ歩きはじめる。赤ちゃんドラテロに噛み付かれた尾鰭か
ら血が滲んでいた。それを手当てしてあげるつもりのようだ。
「ツブの実? そのイルカ、木の実なんて食べるの?」
 ピートが訊く。それはマスターならするはずのない質問だ。振り返ってマリカは「やっぱり
データは全部消えちゃってるのね」と悲しいのか嬉しいのか判然としない顔で呟いてから答え
る。
「フィンクはね、ツブの実が大好きなのよ」
「フィンク? そのイルカ、フィンクっていう生き物なの?」
「イルカって何のこと?」
 マリカが訊き返す。
 ピートは答えようとして思い止まった。ここでイルカについて答えたら、そのまま「地球」
のことについても話さなきゃならなくなる。いまはそれを話すつもりは、ピートにはなかった
。話せばそれだけで、この魔法が消えてしまうような気がした。後に残るのは橋脚の下で気絶
している自分の姿か、それともただの虚無なのかどちらかだろう。どちらにしても、いまのピ
ートにはあまり魅力的な結末には思えない。せっかくこの地へ来たのだから、この地に迷い込
んだことの意味をしっかりとつかみ取ってから帰還したい。そう思った。
 もっとここのことを詳しく知りたい。
 そう思うほど、ピートはここが好きになりはじめていた。
 この、テオ、と呼ばれる世界が。

(つづく)




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